ビジネスソックスが「薄い」のはなぜなのか?

ビジネスソックスが薄くつくられている理由はあるのか?薄手が好まれた結果なのか?薄手にしなければならない要因があったのか?このような疑問に答えるべく、ビジネスソックスの「薄さ」についてまとめる。

合理性と伝統から薄くつくられるが必要条件ではない

はじめに、ビジネスソックスというものを定義しておきたい。「ビジネスソックス」とは、その名前のとおり、ビジネスシーンで着用するソックスのことだ。

日本のビジネスシーンでは、長さがふくはらぎ辺りまでしかない「ドレスソックス」が着用されることも多い。しかしながら、一般的にビジネスで着用するソックスは、「ロングホーズ」であるべきだ。

なぜなら、肌を露出させないためには、ロングホーズのようにふくらはぎを完全におおうことができる長さが必要であるためだ。この長さによって、ソックスがずり落ちたりすることはなくなる。

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それでは、なぜロングホーズに代表されるビジネスソックスは、薄くつくられているのかということを考える。そうすると、合理性と伝統から薄くつくられることが多いが、それは必要条件ではないということが分かる。その理由は下記のとおりだ。

  • 合理性から薄くなった
  • 伝統の慣習も関係する
  • 現代の必要条件ではない

合理性から薄くなった

「足」は熱をもちやすいため、すべてのソックスに通気性が求められることから、ビジネスソックスが薄くつくられることは合理的である。また、ビジネスソックスは長時間着用することも多いため、スポーツソックスよりもその機能が強く求められる。さらには、ふたつの「カワ」に挟まれる状況も、考慮されてしかるべきだ。

「足」は熱をもちやすい

そもそも、ソックスとは「足」をおおう下着である。体のパーツのなかでも、「足」は熱をもちやすいという特徴がある。すなわち、ソックスには「通気性」という機能が必要であるということだ。通気性確保の最適解は、ソックスを「薄く」つくることである。

足は第二の心臓ともいわれている。足には、重力によって上から下へ流れる血液を、筋肉の力で下から上へ押しもどす「ポンプ」のような機能がある。この血液循環機能によって、健康状態の足は頭部よりも高温で発汗することが多い。

つまり、「ビジネスソックス」に限定しなくても、いずれのソックスもある程度の通気性はもっているべきなのである。通気性がないと、高温になった足が発汗することで、「むれ」や「むくみ」が発生する。

ちなみに、足が血液を循環させる機能が弱いと、いわゆる、「冷え性」といった症状になる。冷え性の対策には、厚手のソックスで足を温めるという方法があるが、ビジネスソックスでは逆効果となる可能性がある。

なぜなら、冷え性の根本的な原因には、足の筋肉が十分に発達していないこと以外に、下着の締めつけによる血流の悪化という可能性もあるからだ。

つまり、ソックスに「厚手であること」と「ビジネスのきっちりした着こなし」を求めると、厚手で重量があるため、締めつけを強くしてずり落ちしないソックスが必要となり、血液の循環には悪影響になるということだ。

長時間着用になりやすい

ただでさえ通気性が求められるソックスだが、ビジネスソックスにはより一層の通気性が必要である。なぜなら、ビジネスソックスは長時間着用することが多いからだ。

仕事をしていれば、ソックスを1日に10時間以上履きつづけることもめずらしくない。長時間着用すればするほど、熱や水がソックス内に滞留しやすくなる。

つまり、厚手で通気性が十分に確保できていないビジネスソックスは、長時間着用することによる不快感が高まるということだ。

スポーツソックスが厚手につくられる理由は、運動による摩擦や振動を軽減することや、耐久性といったことが優先的に考えられているためだ。

しかしながら、スポーツソックスはビジネスソックスのように、10時間以上履きつづけることはほとんどない。だからこそ、スポーツソックスは厚手につくることができるともいえる。

「皮」と「革」に挟まれる

また、ビジネスソックスは熱をもちやすい「足」を、「長時間」おおうだけでなく、ふたつの「カワ」に挟まれていることも考慮しなくてはならない。すなわち、「皮」と「革」である。

ビジネスシーンでは、革靴を着用することが一般的だ。革靴はスポーツシューズよりも、通気性という機能では劣っている。これもまた、ビジネスソックスが薄くつくられるべき理由となっている。

人の皮、つまり、「皮膚」が熱を外へ排出できるように、革靴の「皮革」にも通気性はある。しかしながら、皮革の通気性は、綿や麻などの天然繊維よりも低い。

そのため、少しでも効率的に革靴内の熱を外へ逃すためには、足から排出された熱をソックスに留めることなく、素早く革靴の皮革をとおして外へ逃してやる必要がある。

さらには、足と革靴のフィッティングという観点でも、ソックスが通気性だけなく、単に「薄く」つくられていることは都合がよい。足と革靴のギャップが少なければ少ないほど、足だけでなく「脚」全体への負担が少なくなるからだ。

伝統の慣習も関係する

下着であるソックスには、伝統的に「綿」が使用されるため、「薄手」になる傾向がある。また、合成繊維でビジネスソックスをつくるときは、伝統的な薄さのソックスを、新しい素材で再現することが重要になっている。

下着といえば「綿」である

ビジネスソックスが薄くつくられているのは、伝統的に「綿」でつくられることが多いことも関係している。

近年は合成繊維の開発が進んだことで、ソックスが綿だけでなく、ナイロンなどの合成繊維を混紡してつくられることも多い。しかしながら、スーツの下着には綿をつかうことが伝統である。

下着に綿をつかう理由は、綿という素材における「肌ざわり」のよさと「吸水性」にある。つまり、快適性と機能性の両立ができる素材が、「綿」であるということだ。

綿100%で厚手の生地をつくることもできるが、ウールなどほかの天然繊維とくらべれば、綿は薄手につくりやすいという特長がある。

いいかえれば、綿は薄手であっても、ウールなどより耐久性に優れているということだ。着用したら必ず洗濯が必要なソックスのような下着には、ある程度の耐久性も必要である。

また、前述したとおり、足と革靴のギャップを少なくするため、ビジネスソックスは薄くつくられるべきである。そして、ビジネスソックスを薄くつくるためには、綿という素材をつかうことが合理的であるともいえる。

「合成繊維」も綿に似せる

さらに、ナイロン混紡のビジネスソックスも、ベンチマークにしているのは伝統的な綿でつくられたソックスである。

結局のところ、長い時間をかけて完成された服装の「かたち」が、大きく変わることはまれだ。そのため、合成繊維でつくられたビジネスソックスであっても、一見すると綿でつくられたソックスと相違ない。

むしろ、綿でつくられた薄手のソックスを、ナイロンとの混紡でいかに再現するか?ということが、論点のひとつにすらなっている。

「かたち」は変えず、現代の技術で過去の技術を再現する、模倣するということは、「服装」という分野では一般的な方法である。

つまり、「ビジネスソックスは薄い」という前提(伝統)が先にあって、現代的な素材でその前提に見合う製品をつくっているということだ。

また、綿のもつ「肌ざわり」のよさや「吸水性」といった特長を、合成繊維にもたせるためにはどうするか?というのも、素材を開発する側にとっては課題のひとつとなっている。

現代の必要条件ではない

ビジネスソックスを薄くつくることは、合理的であり伝統でもある。しかしながら、ビジネスソックスが薄いことは、現代の着こなしにおける必要条件ではない。

クラシックなスーツの着こなしにおいて、薄手の下着が好まれることは事実だ。しかし、技術や価値観の変化によって、着こなしの「あるべき姿」も変わってきている。

たとえば、ソックスと同じ下着である「シャツ」も、本来は綿でつくられることが一般的であった。しかし、形状安定性という機能を付加するかわりに、綿とポリエステルの混紡という選択肢が主流になりつつある。

ソックスには、シャツのような「形状安定性」は要求されていない。ところが、ナイロンなどの合成繊維を混紡することで、耐久性を上げることや、コストを下げることができるようになった。

つまり、厚手であっても、ビジネスソックスに強く要求される「通気性」を確保することができれば、大きくデザインに影響しない程度では、ビジネスソックスが厚くなることもあり得るということだ。

「厚手」のビジネスソックスでもいいのか?

ビジネスソックスが「薄い」ことには、しっかりとした理由があった。しかしながら、現代では「薄い」ことが必要条件にはなっていない。

それでは、ビジネスソックスは厚手でもいいのか?というと、実際には機能だけでなく見栄えという観点からも、おすすめはできない。

やはり、厚手で素材感(存在感)があるソックスというのは、スーツスタイルには合わないからだ。下着はあくまでも「下着」であり、それ自体が主張するべきではない。

また、そもそも、「ロングホーズ」であれば、製品ごとに「薄さ」の違いがあるとはいっても、極端に厚手のロングホーズは存在しないといえるだろう。

ロングホーズの知名度は、日本ではまだまだ十分とはいえない。したがって、作り手側も、市場のスケールよりロングホーズとしての「意味」を重視して販売している。

そのため、売られているロングホーズのほとんどは、伝統的な「薄さ」でつくられていることが多い。「服装」においては、機能と同じだけ「意味」が重視されているということだ。

「意味」を重視しなくなったときは、「スーツ」というもの自体の存在価値が、ふたたび見なおされることになるだろう。機能だけを求めれば、スーツに合理性はほとんどないからだ。