全身ユニクロはダサいのではなくその価値観に慣れていないだけだ

全身ユニクロはトップとボトムで決まる。ダサいと思う価値観がすり込まれている。何に価値を置くかは時代とともに変わる。したがって、全身ユニクロはダサいのではなくその価値観に慣れていないだけだ

全身ユニクロはトップとボトムで決まる

全身ユニクロなら「頭」から「つま先」までユニクロのはずだ。「靴」は服装から分けられがちでユニクロも力を入れていない。したがって、全身ユニクロはトップとボトムで決まる

全身ユニクロなら「頭」から「つま先」までユニクロのはずだ

「全身○○」という言葉は、一般的に服装全体を一つのブランドで統一しているときに使われる。だから、「全身ユニクロ」ならジャケットやパンツだけでなく、帽子や靴までもユニクロで統一しているときに使われるべきだ。

ユニクロはジャケットやパンツだけでなく、下着やベルト、そして帽子や靴までも取り扱っている。だから、文字通りに「全身ユニクロ」を再現することはできる。

「靴」は服装から分けられがちでユニクロも力を入れていない

しかし、服装の中でも「靴」はジャケットやパンツと分けて考えられることが少なくない。それから、服装全般を取り扱うユニクロさえも「靴」には力を入れていないようだ。

2021年7月現在、ユニクロの靴のラインナップには2種類のスニーカーがあるだけだ。どちらも履き心地の評価は高いが、ラインナップの少なさとそのオーソドックスなデザインでは、価値の源泉である「差別化」ができていない。

ユニクロには、1984年に1号店を開店したときから「誰にでも着られるカジュアルウエアを提供する」というコンセプトがあるが、これは商品を差別化しないこととイコールではない。

着心地(履き心地)とデザインの良さを両立しながら、さらに価格を抑えた高品質な商品を多様に展開することがユニクロの差別化戦略と理解している。しかし、今の靴のラインナップではデザインと多様性が犠牲になっていると言わざるを得ない。

ダサいと思う価値観がすり込まれている

「カブり」が「ダサい」のは風潮だ。ユニクロは「カブる」可能性が高い。そもそもユニクロの評価が低すぎる。したがって、ダサいと思う価値観がすり込まれている

「カブり」が「ダサい」のは風潮だ

他人と服装がカブることをダサいと思うのは、ものごとを表面的にしか捉えていない。この問題の本質はカブる「服装」自体にはなく、その服装をしている「人」にある。もっと分かりやすく言うと、カブる服装がダサいのではなく、ダサい人と服装がカブることがダサいのだ。

ユニクロがターゲットにしている客層はとても広い。「いつでも、どこでも、誰にでも・・」がコンセプトなのだから、ターゲットは広くなくてはならない。だから、ユニクロの服装は「服装が好きな人」と「服装に大した興味がない人」の両方に選ばれる。

ユニクロが「誰にでも」とは言っても、服装に興味がない人がサイズや色、組み合わせをしっかりと考えずにユニクロを着れば、それがダサく見えてしまうこともあるだろう。

ユニクロは「カブる」可能性が高い

ユニクロはシンプルで長く着られる服を作る。これはユニクロのコンセプトをより具体的にしたものだ。だから、ユニクロの店舗には毎年同じような商品が並び、それでも多くの人がそれらの商品を買う。そして街にはユニクロ(を着ている人)があふれかえる。

ユニクロの冬場のインナーとして知らない人はいないであろう「ヒートテック」は、2003年に登場してから2021年現在までの18年間、そのデザインを大きく変えていない。

インナーは10年以上デザインを変えなくたって何の問題もないし(むしろインナーにトレンドがあったら変だ)、リーバイスにだって501のように100年以上の歴史があり、細かな仕様変更を考慮しても50年以上デザインが変わらないものもある。

しかし、そういった商品における弊害が他人との「カブり」だ。ユニクロはリーバイスと違って服装全般を取り扱っているから、一商品あたりのライフスパンが長いこととの相乗効果で、ユニクロ商品を着る人の母数はリーバイスの比ではない。

つまり、ユニクロ自体が毎年同じ商品を量産していること(これはユニクロの強みでもある)と、ユニクロが服装全般を取り扱っていることが相まって、ユニクロを着る→服装がカブる→ダサい(風潮)という構図が成り立ってしまっている。

そもそもユニクロの評価が低すぎる

それから、ユニクロは(不当にも)低い評価というか、先入観が先行してしまっているブランドだ。その背景には、ユニクロのコンセプトが正しく理解されておらず、そのコンセプトから生まれる強みが知られていないことがある。

例えば、価格帯ではユニクロと競合し比べられることも多いZARAやH&Mといったファストファッションは、ユニクロほど(不当に)低い評価を与えられてはいない。

それでは、まずはファストファッションとは何か?ということを考えたい。ファストファッションとは、服の商品開発サイクルが短い(主に製造小売業という業態を取る)企業を指す。ファストファッションはハイブランドが作るトレンドをいち早くまねて低価格に提供することを目指している。

だから、服装が好き(≒トレンドに敏感)だが、毎回ハイブランドばかり買うことはできない(主に)若い人たちがファストファッションを好む。そしてファストファッションもまたそれらの若い客層をターゲットにしている。

これらの客層は、服装を評価するときにどれだけトレンディかを重視しているため、そもそもファストファッションとは考え方の異なるユニクロは低い評価にならざるを得ない。

それに対して、ユニクロが目指しているものはファストファッションとはある意味で対極にある、シンプルで長く着られる服を作ることだ。この考え方があるからこそ、ユニクロは同じ商品を長い期間で作り続けるし、それによって商品の品質を上げることができる。

なぜなら、同じ服を100枚作るのと2種類の服を50枚ずつ作るのとでは、前者の方が生産効率は高くなり原材料の調達コストも削減できるからだ。

売上高ではユニクロを超えるZARAやH&Mであっても、一商品あたりの生産量ではユニクロに遠く及ばないだろう。ファストファッションはトレンドを追うのだから、同じ商品を作り続けることはできない。

これがファストファッションでは売り切れが頻発する理由でもある。それから、同じ価格の商品をユニクロと他ブランドで比べたとき、ユニクロを超える品質の商品が他ブランドにはないことも意味している。

何に価値を置くかは時代とともに変わる

既製服は産業革命から生まれた。トレンドはブランドがつくるようになった。服装にも持続可能性が求められていく。したがって、何に価値を置くかは時代とともに変わる

既製服は産業革命から生まれた

近世までは貴族などの上流階級に限定されていた服装へのこだわりは、産業革命における紡績機やミシンなどの技術革新で服の大量生産が可能になったことで、「既製服」として大衆にも広まった。

産業革命以前の服装は一つ一つが全て人の手によって作られるオーダーメイドで、そこにこだわりを持つことはお金のある上流階級にしかできないことだった。

しかし、大衆でも手の届く既製服が流通するようになったことで、人々は自分の好きな服装を選び、買い、そして着ることができるようになった。

トレンドはブランドがつくるようになった

市場に既製服の需要が生まれたことで、既製服の供給者たる企業も多く生まれた。これらの企業は自社のブランドを他社から差別するためにトレンドをつくるようになった。

ブランドがつくるトレンド性のある(高級)既製服は「プレタポルテ」と呼ばれ、それまでのオーダーメイドや(女性の)高級注文服「オートクチュール」と対比されながら現在までの服装市場をリードしている。

服装にも持続可能性が求められていく

現在の服装市場は、SPA(製造小売業)という業態の企業が大量生産に拍車をかけて市場でのプレゼンスを発揮する一方、各社は大量生産・大量消費される服装の問題解決を迫られている。

SPAはサプライチェーンをグローバル化することでアジアの安い労働力を使った服を作り、流通を内製化することでコストを圧縮する合理的な考えだが、服の生産コストが低いために需要以上の服が作られてしまうことも問題である。

ZARAやH&Mなどのファストファッションは、高級ブランドがつくるトレンドとSPAという業態を組み合わせることで、新しい需要をつくり出した。

ユニクロは大量生産・大量消費を極限化することで、ファストファッションと同じ価格だが、ファストファッションほどはトレンドを追わないことで同じ商品を作り続け、商品の質を向上させた。

ファストファッションもハイブランドよりは一商品あたりの生産量が多いが、ユニクロはそれらファストファッションの比ではない。ファストファッションはトレンドを追いかけることがその存在理由であるから、同じ商品を作り続けることはできないが、ユニクロにはそれができる。

これが大量生産・大量消費を極限化するということの意味するところだ。トレンドを追う以上、服装が使い捨てになってしまうファストファッションに対して、長く着られる服を作るユニクロの方が持続可能性の未来は明るいように思う。